意外と古い商品先物取引の歴史
商品先物取引の歴史は、意外と古かったりします。
最初に国内で商品先物取引が行われたのは、1730年、即ち江戸時代だといわれています。
世界初の先物商品取引所は?
まず、世界に目を向けますと、先物取引の始まりは、今から約480年も遡ります。
1531年にベルギーのアントワープに世界初の商品取引所が開設され、1568年にはロンドンのグレシャムに商品取引所が開設されたのが、世界初の先物取引と言われています。
江戸時代の先物取引の歴史
我が国では、江戸時代は、年貢も米で納めていたように、米が通貨同様の役割を果たしていました。
米が、日本経済そのものだったのです。
凶作になれば餓死するものが増えます。
豊作になれば円満にいくかと思えば、米の価値が下がるので米価建てで給料をもらっていた武士は貧困を極めることになるのです。
豊作・凶作にかかわらず米の価格を安定させるために先物取引が必要だったのです。
実は、1620年にはすでに、大阪・堂島の豪商淀屋が先物取引場として、米市場を開設していましたが、前述の通り、米の価格を安定させるために・・・そこで、1730年代に米将軍とも呼ばれる、TVの時代劇「暴れん坊将軍」でおなじみの8代将軍徳川吉宗の命を受けて大岡越前守忠助が米の先物市場(帳合米取引)として大阪「堂島米会所」を幕府公認のもと設立しました。
名奉行とされる大岡越前守忠助が、作り上げた制度は非常に優れたもので、現在の先物取引の骨格を網羅していました。
1848年に設立されたアメリカのシカゴ商品取引所(CBOT)は、堂島米会所をモデルとしたほどです
近代の商品先物取引の歴史
明治維新以後も、米の先物取引はずっと行われていきましたが、1939年、第二次世界大戦時に米流通統制が行われ、廃止しています。
商品先物取引自体は終戦後の1950年以降に再開されましたが、米の先物取引は未だに再開されておらず、その目処も立っていないのが現状です。
米は日本における最も主流な農作物であって、日本の食文化の象徴である事は、誰しもが認識している事です。
その米での取引がなされていないというのは、少々寂しいところですね。
商品先物取引が480年近く前から行われていた事には、多くの方が驚きを覚えるところでしょう。
ただ、取引という概念はその数百年、数千年前から行われていたので、農作物などの生活に根付いた物に対して価値の変動があり、それを利用して利益を得るという概念が16世紀のヨーロッパや我が国の江戸時代にあったとしても、それほど不思議ではないかもしれません。
こういったものは、科学の発展などとは違い、庶民でも行える工夫ですから。